地球を癒すウルトラマン(3)
2007.11.26 Monday | 癒される映像・映画
二回にわたり「ウルトラマンガイア」について書いてきましたが、今回が最終回です。
前回は藤宮博也と吉井玲子、そして稲森博士のやりとりについて書きましたが、その他に軍人(柊博之・G.U.A.R.D准将)と風水師(黒田恵)という変わった組み合わせもありました。
柊「黒田さん、怪獣のために自分の大切な人が傷ついたらどうしますか?」
黒田「怪獣を憎むかもしれません。でも、憎しみは新たな憎しみを生むだけです」
柊「憎悪は理性を失い、判断を狂わせる……。私は自分の復讐のために闘っているわけじゃない。」
黒田「それじゃ、何のために?」
別のシーンでは、この黒田さんと、前回取り上げた玲子さんとの間で
黒田「あの人(柊)はやさしい人です。愛するものを守りたい。単純にそれだけの為に。でも、見ている世界が狭すぎる……」
といったやりとりも。
「見ている世界が狭すぎる」
――このセリフも深い。つまり、狭い視点で正しく見えることも、広い視野に立ったならば誤りであることもある。そして、地球全体を見据えた上でなければ、最終的に正しい判断というものはできない、ということでしょう。
この柊は藤宮とぶつかり合うシーンもあります。
藤宮「これ以上地球を傷つけるな!こんなことをくり返しているうちに地球は滅ぶ!」
柊「……テロリストに指図される覚えはない」
藤宮「自分たちだけが生き残るために、他のものを滅ばすのは人間の驕りだ!」
このように、いろいろな人々が、いろいろな立場から、地球を、人類を救うとは一体どういうことなのかを考え、苦悩し、戦い続ける。
――そう、安っぽいトレンディドラマには決して存在しない壮大な哲学が、ウルトラマンには濃縮されているのです。
●地球はウルトラマンの星
ガイアを観て思うことは、地球を癒すことも、個人の心を癒すことも、すべては一つの地平へとつながっているのではないか――ということ。
つまり、個人のエゴを超えて、地球全体を愛する。
そしてそれは、人(Man)を超える(Ultra)ことへとつながっていくのではないか……と。
ウルトラマンガイア最終回のタイトルは
「地球はウルトラマンの星」
この言葉に秘められている意味は深い。つまり、往年のSFで謳われているように
「地球は人間の星」
ではないのです。
「地球はウルトラマンの星」――このタイトルには、
個としてのエゴを超えて、地球全体を愛することのできる心を持った者こそが、この星の主となれる
――そのような意味が込められているように思えてなりません。
エゴにまみれた自己中心的な“人間”には、地球もろとも滅亡へと突き進んでいくことしかできず、地球の“主”たる資格はないのでしょう。
柊(空中基地から)「美しい景色だ。こんな所に居るから、地上の人間の痛みがわからなくなる」
我夢(藤宮に対して)「君は間違ってなんかいない。ほんの少し、結論を急ぎ過ぎただけだ。人間だって、変わらなきゃいけんないんだ!」
稲森「地球は一人ぼっちじゃない。広大な宇宙と地球は、つながっているの……」
藤宮「我夢、いつかお前は言ったよな、“人間は変われる”と。俺はそれを信じたいと思った。でもな、我夢。人間は人間が過去に犯した過ちを、自分たちの痛みとして背負っていかない限り、本当に変わったりは出来ないんじゃないか?」
我夢「未来はただ待つだけのものじゃない。今、自分に負けなければきっと変えられる……!」
最後の我夢のセリフ、「今、自分に負けなければ」――これは、別に「ど根性」のようなスポ根的精神論ではなく、――ここでいう「自分」とは、「エゴ」「自己中心的な心」のことであって、このセリフ全体を言い換えるなら
「人間一人一人が、自分自身のちっぽけなエゴというものに屈することなく、エゴを超え、地球全体を愛することができるなら」
――という思想を表わしているものだと考えられます。
現実の地球は、果たしてウルトラマンの星となることができるのか、それとも人類は地球のガン細胞のままで、地球を殺して自らも滅亡へと至るのか。
それは、人類全体の「心の働き」の総和で決定されることなのでしょう。
皆さんも、ウルトラマンガイアを観て、エゴを超えるということ、地球全体を愛するということについて、一度じっくり考えてみてはいかがでしょうか?
※メモリアルボックスはこちらから
ウルトラマンガイア メモリアルボックス
前回は藤宮博也と吉井玲子、そして稲森博士のやりとりについて書きましたが、その他に軍人(柊博之・G.U.A.R.D准将)と風水師(黒田恵)という変わった組み合わせもありました。
柊「黒田さん、怪獣のために自分の大切な人が傷ついたらどうしますか?」
黒田「怪獣を憎むかもしれません。でも、憎しみは新たな憎しみを生むだけです」
柊「憎悪は理性を失い、判断を狂わせる……。私は自分の復讐のために闘っているわけじゃない。」
黒田「それじゃ、何のために?」
別のシーンでは、この黒田さんと、前回取り上げた玲子さんとの間で
黒田「あの人(柊)はやさしい人です。愛するものを守りたい。単純にそれだけの為に。でも、見ている世界が狭すぎる……」
といったやりとりも。
「見ている世界が狭すぎる」
――このセリフも深い。つまり、狭い視点で正しく見えることも、広い視野に立ったならば誤りであることもある。そして、地球全体を見据えた上でなければ、最終的に正しい判断というものはできない、ということでしょう。
この柊は藤宮とぶつかり合うシーンもあります。
藤宮「これ以上地球を傷つけるな!こんなことをくり返しているうちに地球は滅ぶ!」
柊「……テロリストに指図される覚えはない」
藤宮「自分たちだけが生き残るために、他のものを滅ばすのは人間の驕りだ!」
このように、いろいろな人々が、いろいろな立場から、地球を、人類を救うとは一体どういうことなのかを考え、苦悩し、戦い続ける。
――そう、安っぽいトレンディドラマには決して存在しない壮大な哲学が、ウルトラマンには濃縮されているのです。
●地球はウルトラマンの星
ガイアを観て思うことは、地球を癒すことも、個人の心を癒すことも、すべては一つの地平へとつながっているのではないか――ということ。
つまり、個人のエゴを超えて、地球全体を愛する。
そしてそれは、人(Man)を超える(Ultra)ことへとつながっていくのではないか……と。
ウルトラマンガイア最終回のタイトルは
「地球はウルトラマンの星」
この言葉に秘められている意味は深い。つまり、往年のSFで謳われているように
「地球は人間の星」
ではないのです。
「地球はウルトラマンの星」――このタイトルには、
個としてのエゴを超えて、地球全体を愛することのできる心を持った者こそが、この星の主となれる
――そのような意味が込められているように思えてなりません。
エゴにまみれた自己中心的な“人間”には、地球もろとも滅亡へと突き進んでいくことしかできず、地球の“主”たる資格はないのでしょう。
柊(空中基地から)「美しい景色だ。こんな所に居るから、地上の人間の痛みがわからなくなる」
我夢(藤宮に対して)「君は間違ってなんかいない。ほんの少し、結論を急ぎ過ぎただけだ。人間だって、変わらなきゃいけんないんだ!」
稲森「地球は一人ぼっちじゃない。広大な宇宙と地球は、つながっているの……」
藤宮「我夢、いつかお前は言ったよな、“人間は変われる”と。俺はそれを信じたいと思った。でもな、我夢。人間は人間が過去に犯した過ちを、自分たちの痛みとして背負っていかない限り、本当に変わったりは出来ないんじゃないか?」
我夢「未来はただ待つだけのものじゃない。今、自分に負けなければきっと変えられる……!」
最後の我夢のセリフ、「今、自分に負けなければ」――これは、別に「ど根性」のようなスポ根的精神論ではなく、――ここでいう「自分」とは、「エゴ」「自己中心的な心」のことであって、このセリフ全体を言い換えるなら
「人間一人一人が、自分自身のちっぽけなエゴというものに屈することなく、エゴを超え、地球全体を愛することができるなら」
――という思想を表わしているものだと考えられます。
現実の地球は、果たしてウルトラマンの星となることができるのか、それとも人類は地球のガン細胞のままで、地球を殺して自らも滅亡へと至るのか。
それは、人類全体の「心の働き」の総和で決定されることなのでしょう。
皆さんも、ウルトラマンガイアを観て、エゴを超えるということ、地球全体を愛するということについて、一度じっくり考えてみてはいかがでしょうか?
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ウルトラマンガイア メモリアルボックス
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